今回は新スタッフにインタビューしていただきました。秋元美智子さんという方です。ありがとうございました。
今回のインタビューは、現在長野県在住のNPO長野サマライズセンターで聴覚障害児支援コーディネーターとして活動しておられる、綿貫彩(わたぬきあや)さんです。
★今は退職されました
目次
中途失聴の立場で「聴覚障害」「手話」と向き合ってきて・・・
綿貫さん、こんにちは。
中途失聴者であり、現在、NPO長野サマライズセンター聴覚障害児支援コーディネーターとして活動されておられる綿貫さんにインタビューさせていただきます。よろしくお願いいたします。
(綿貫)
仮認定特定非営利活動法人長野サマライズ・センター、聴覚障害児支援コーディネーター綿貫彩と申します。
よろしくお願い致します。

(大事な家族)
(秋元)
今回は、綿貫さんの生い立ち、手話との出会い、そしてお仕事のことなどを色々お聞きしたいと思います。
まずは、ご自身の生い立ちについてお聞きします。家族構成等を教えてください。
(綿貫)
父、母、兄、妹、そして私の娘2人が居ます。私以外皆聴者です。妹は6月に結婚し、別の所に新居を構えております。(※聴者=耳が聞こえる人のこと)
(秋元)
綿貫さんは中途失聴者のようですが、いつからどのような原因で失聴になりましたか。
また、耳の聞こえ具合を教えていただけますか。
(綿貫)
小学校2年生の時に、右40dB、左スケールアウト(120dB以上)の難聴が判りました。
その後、小学校(60dB)・中学校(70~80dB)・高校(85~100bB、その後85dBに回復)・短大(85~100dB以上)と右耳の聴力が低下し、短大2年で身体障害者手帳を2級に更新しました。
現在は補聴器を付けると高い音を感じる程度です。
手話との出会い
(秋元)
中途失聴として生きてこられたんですね。それでは手話はいつから、どのような形で覚えましたか?
(綿貫)
保育園~高校まで、普通学校に通っており、手話を全く知らない状態でした。中学校3年から高校の間に指文字を覚えた程度です。
短大に入り、全日本ろう学生懇談会に入会、短大が長野県でしたので北信越支部長になり「全国ろう学生の集い」スタッフを経験したり、違う地域のろう学生と接する事で身につけていきました。
短大1年の夏休み明けにはだいたいの日常会話が出来るようになっていたと思います。
短大卒業後は愛知県の大学の3年次に編入しました。大学はろう学生が多い所を選んで編入しましたので、ほとんど手話でのコミュニケーションで過ごしていました。
卒業後に長野に帰ってきた後は、地域の手話サークルに足繁く通っています。
「無理しなくてもいい、聞こえないままでもいいんだ」と思える友達との出会い

(全コンで知り合った仲間たちと)
(秋元)
学生時代に入っていたという「全日本ろう学生懇談会」ですが、どのような団体なのでしょうか。
(綿貫)
全国規模の聴覚障害学生団体で、ろう・難聴学生同士があつまり、聴覚障害とは何か・手話とは何か・聴覚障害者として社会に出て行くためには?ということや、また大学・専門学校における情報保障に関して等情報交換の為のイベントを計画したり、勉強会をしたり、交流したり・・ろう・難聴学生を取り巻く様々な事について活動している団体です。
略して全コンと言います。
(秋元)
その会に在籍して一番の思い出などエピソードを教えてください。
(綿貫)
全コンに入って一番の思い出は、やはり「手話を使うろう学生との出会い」でしょうか。
短大一年で全コンに入り、短大2年で支部役員になりました。
それにより他のメンバーとミーティングをしたりして会う機会が増え、また他県に出て行き一週間や二週間寝食を共にすることで、手話のみでコミュニケーションをとる事が爆発的に増えまして。
それまで19年間音声で・耳で聞いてコミュニケーションをとっていたので、全コンに入って「無理をしなくてもいい・きこえないままで良い」ということに気付くことが出来たのが一番大きいです。
また、「無理をしなくてもいい」関係の友達がたくさん出来たのも、いい思い出です。もう10年の付き合いになる友人も居て、今でも長野まで遊びに来てくれる人も居ます。
綿貫さんにとっての手話とは
(秋元)
良い出会いがあったようで、良かったですね。
それでは、普段のコミュニケーション方法は手話ですか?口話ですか?自分の意思を一番伝えやすいコミュニケーション方法は何でしょうか?
(綿貫)
普段は、家族には口話のみ、家族以外の聴者には手話と声を一緒に。
ろう者・手話通訳者に対しては手話のみというような感じで使い分けをしています。
自分の意思を一番伝えやすい方法は、強いて言えば口話。相手の話を理解しやすい方法は手話です。
(秋元)
つまり、綿貫さんは中途失聴なので、自分から話す時は声の方が早く気持ちを伝えられるけど、それでもやはり耳は聞こえていないので、相手からの話は見て分かる手話のほうが良いということですよね?
(綿貫)
はい。そうなんです。今は学生団体も卒業して8年にもなりますし、子育てなどでろう協の活動にも思うように参加が出来ないので現在は声でのコミュニケーションが大部分を占めています。
時々手話を使うことはあるけれど、学生時代ほど手話が「自分の言語」としてマットな感じがしません。
ただ、そんな中で、娘も私に対して手話を使ってくれるようになったので、もっと私も手話で話す事を大事にしてもっと手話を自分のモノとして使っていきたいという気持ちが強いです。
まだまだ知らない手話がある、と思うともっと毎日たくさんのろう者に会って極めていきたいですね。
長野サマライズセンターとの出会い
(秋元)
次は仕事について、働いている名称、職種、仕事の内容など教えてください。
(綿貫)
職場は仮認定特定非営利活動法人長野サマライズ・センターというパソコン要約筆記の団体です。
地域の議会や講演の要約筆記を請けています。
その傍ら、普通学校に通う聴覚障害児に対する文字支援活動(デモンストレーション・大学での支援者養成)も行っています。現在は筑波技術大学等の高等教育機関での支援に携わっています。
私が就いている職は、聴覚障害児支援コーディネーターと言いますが、三年前から就任させていただいています。

(長野サマライズセンターにて)
(秋元)
どういう流れで長野サマライズ・センターの要約筆記の団体で働くようになったのでしょうか。
(綿貫)
まず、私は長野県の短大に居たときの講義保障はサマライズに行っていただいていました。サマライズとしても、教育現場で支援した聴覚障害学生は私が初めてということでした。
短大を卒業し、大学を卒業し、結婚・子育てを開始していて「最初は『聴覚障害児の為に何かしたい』って思ってたけど、もうあれからかなり年月が流れてるし、教育現場も保護者の意識もだいぶ変わって、私よりも他の人がなんか貢献してるんだろうなぁ」・・と思っていた私でしたが、子育てが落ち着いた頃に、手話サークルの人や難聴児の親御さんから話しを聞くにつれ、私自身が小学生の頃からあまり状況が進歩していないということが判ってきました。
地域学校の授業では、難聴児は置き去りにされている・わからないまま授業を受けている子がいる・・・そんな状況です。
「普通学校に通う聴覚障害児に対し、わたしに何か出来ることはないでしょうか」とサマライズの事務局に話したところ、現在のお仕事を頂けるようになりました。
綿貫さんにしかできない仕事 ~難聴学級の役割を夢見て~

(道端で色々と説明をする綿貫さん
(秋元)
耳が聞こえなくても要約筆記を行うことができるのでしょうか。
(綿貫)
サマライズはパソコンなどのIT機器やIT技術を活用して、障害者・高齢者などの情報弱者の社会参加をサポートを図っている団体ですが、きこえないわたしが要約筆記を行う訳ではありません。
わたしは当事者として、支援する立場にいます。しかしながら、「わたしがきこえないから他の子も同じようにきこえないのだ・同じような経験をしているのだ」という固定概念を持たないよう、冷静にお話しを聞いたり、親御さん・難聴児さんには何を求められているのかを考えて行動しなければいけません。
口調も「●●すること、これって大変ですよね?」という決めつけた問いかけではなく「今、●●はどうですか?」という質問に換えてみるなどです。
(秋元)
聴覚障害児支援コーディネーターとは何をするのでしょうか。
(綿貫)
聴覚障害児支援コーディネーターは、聴覚障害児のご家族やご本人、学校の先生などに聴覚障害の聞こえ方・学校での過ごし方、進路や仕事についてのお話しさせていただいたり、他の聴覚障害者(成年)の普通学校での体験や受験・進路決定を調査し冊子にして提供させていただいたりしています。
ここ長野県は、学校に難聴学級が無いことが多く、また普通学校に通う聴覚障害児が集まる機会がとても少ないので、ゆくゆくは地域の「難聴学級」の役割を担っていけたらいいなと思っています。
「きこえないのはわたしだけじゃないんだ」「そっか、僕が聞いている音は他の子とは違うんだ!じゃあ、どうしたらいいんだろう」という気付きを提供し、自分を嫌いになったりせずに笑顔で学校生活を送ることが出来るようにお手伝い出来たらいいなーと妄想しています(笑)
様々な形の支援活動
(秋元)
普通学校に通う聴覚障害児への文字支援活動とは具体的にどんな活動ですか。
(綿貫)
サマライズで行われている文字通訳支援というのは、講演などが行われる際に、スクリーンにパソコンの画面を投影しパソコンで打って要約筆記を行っています。
近年は【遠隔情報保障システム】といって、入力者が離れた場所でインターネット経由できた音声を要約筆記し、文字もまたインターネット経由で利用者のパソコン・iPad・iPhoneに届けられるという方法も行っています。
この方法は学校でもいくつかデモンストレーションをさせていただいており、筑波技術大学では実際にこの方法で支援を行っています。
参考例→https://faavo.jp/nagano/project/70
(募集は終了していますが、説明や写真などは参考になるので載せています)
小中学校においても、児童生徒が感じる「教室に知らない大人(入力者)がいる」という不安を軽減するのにとても役立ちます。
音声認識の技術も向上しており、シャムロック・レコードの【UDトーク】というアプリを使っての支援も検討中です。
(※UDトーク→http://udtalk.jp/)

(UDトークを使った講習会)
子どもの進路は「聞こえないから」ということで閉ざされてはならない
(秋元)
聴覚障害児支援コーディネーターをやって良かった!と思った思い出は?
(綿貫)
お子さんの進路について、親御さんから「うちの子は○○がやりたいと言っているけれど、きこえないのに出来るんでしょうか?」というご相談に対し、実際にその職種で働いている聴覚障害者の例をお話しさせていただいたことがあります。
その時に親御さんから「聞こえなくても出来るんですね!」とおっしゃっていただいた時ですね。
お子さんの進路が【きこえない】という理由だけで阻まれてしまうことは無い―ということを伝える事が出来、とても嬉しく思いました。
当事者として多くの聞こえない子を持つ親に様々なことを伝えていきたい

(ちょうかくしゅわサロンで聴覚障害のことを説明する綿貫さん)
(秋元)
利用者さんは、聴覚障害児を育てておられるご家族を中心に支援なさっているのですね。
具体的にどのような支援を行っているのでしょうか。支援に携わって良かったという思い出はありますか。
(綿貫)
具体的には、親御さんに手話をお伝えしたり勉強方法・学校生活・進路についてお話しをさせていただいたりしています。
親御さんには「聴覚障害についてまだまだ知らない事が多かった」「聴覚障害があっても、出来る事がたくさんあるんだ!」と言っていただくことがあり、これで新たな難聴児支援の輪が広がるかも・・と嬉しくなります。
(秋元)
お答えいただきどうもありがとうございます。
全コンを通して手話とのつながり、支援者としてのつながりなど絆を得ることができて良かったですね。
また、聴覚障害児支援コーディネータや要約筆記など詳しくお答えいただきありがとうございます。それらに就きたい方にとって大変参考になれたかと思います。
こういう形での聴覚障害児支援もあるということ、また、それによって親たちにも聴覚障害の理解が広まっていければ、聞こえない子どもも生きやすい社会になるのではと思います。
今日はありがとございました。
以上
参考
綿貫彩さんのFacebook →
https://www.facebook.com/aya.watanuki
長野サマライズセンター → http://www.nagasama.net/
長野サマライズセンターFacebookページ → https://www.facebook.com/sama200551?pnref=lhc
UDトーク → http://udtalk.jp/